裏方
裏方
蒸気機関車C6215のお話です。
C6215は、昭和23年12月15日、日立製作所笠戸工場で落成しました。種車は同じく日立製のD52112です。同年12月21日に最初の仕事場である広島の糸崎機関区に配属されました。翌24年にはもうお隣の岡山機関区へ転属しています。更に25年には浜松機関区へ。3年後の28年7月に広島第二機関区へ転属しています。その広島で31年12月に新ボイラーに交換されました。しばらくして40年に最初の糸崎に戻ります。山陽路での落ち着いた日々が続きました。そこで一生を終わると思われた45年10月突然の北海道行。札幌の苗穂工場に入ります。耐寒装備の改造を受け、46年1月に小樽築港機関区に配属され函館本線の運用に付きました。鉄道ファンの注目を浴びる急行ニセコに、当時のスターであるC622号機との重連運転も果たしました。その舞台はわずか1年足らずで終わりを告げます。昭和46年11月24日廃車となりました。あくまでも人間の都合ですが、生き物のように愛し眺めてきた我々鉄道ファンにとっては冷たい終わり方です。15号機はその足回りである動輪とロッドの一部が東京駅にモニュメントとして残されています。全てをを保存することはできなかったのか、失ってからでは遅いという事を実感しています。
C6215を再現しました。
15号機には他と違う特徴が散見できます。一番キャブ寄りのハンドレー・ノブ部の位置が他機よりも少し前方に在り、妻板との距離が有ります。穴を埋めて位置をずらしました。広島機関区時代の改造ですが、給水温め器からボイラーの逆止弁までの配管がランボード上にむき出し変更されています。